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鮮やかな蜜柑

あらすじは、車窓から半分身体を乗り出していた例の女の子が、あの霜焼けの手をいっぱいに伸ばして、勢いをつけて大きく振り落とすと、鮮やかなオレンジ色の蜜柑五つ六つ、汽車を見送っている幼い子供たちに向け、ばらばらと空から降って来た。
私は息を呑み、全てを了解した、というもの。
大正時代の文章も、小学生から何となく、から読めるようになる。
本当の意味が解るのは、もっと後に大人になってから読み返す時が来るか、来ないか。
本が古ぼけて本棚の片隅から突然現れても、鮮やかな蜜柑の色と霜焼けの手が思い出されて感極まる。
奉公先へ赴く、等は現代ではイメージは湧きにくいが、汽車でトンネルに近づいたら窓を閉めなくてはいけないのは何故かは解る。
どす黒い空気、が。
にもかかわらず。

朗読

百年前の外国の物語で、テレビもない時代、主人公の得意な朗読シーンが印象的。
国語の先生に、読んだ小説の話題の際、先生は読んでいないけれど、ラジオの朗読で聞きました、と言われて、朗読って聞くものなんだと、かなり不謹慎な生徒。
大女優さんが素晴らしい声と表現力で、舞台で朗読してコラボされたり、お客さんが多い。
ある機会に、趣味とされる方の朗読を聞いた。
とてもいい朗読でした。
自分の作の文章でなくても、自分で読むのとは全く違った印象で聞けて、表現方法がいろいろあることがよくわかりました。
声を整えたり、呼吸を整えたり、抑揚ではなくても緩急で表現すると効果的。
確かに、物語の主人公の緩急も表現されていた。
子供の読み聞かせとはニュアンスは違うのかも。


自由を与える余裕を持つ

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